亀山は遅刻していたと聞くがどうなんかな…
阪神の暗黒時代、球団や選手に対する厳格な姿勢から「鬼平」と呼ばれた将がいた-。
虎生え抜き選手初の名球会打者でもある元監督の藤田平氏(72)=デイリースポーツ評論家=が、1995年に就任した2軍監督時代から1軍監督を途中退任した翌96年までを述懐する。
「最悪」と衝撃を受けた現場復帰当初のチーム状態から、新庄正座事件、桧山の4番抜てき、
そして深夜にまで及んだ“籠城会談”など激動の虎を振り返る。(文中は敬称略、役職は当時)
常習化していた選手の遅刻問題の象徴として、今も“新庄正座事件”がメディアで取り上げられる。
実はこの一件、藤田から一方的に命じたわけではなかった。
練習に遅刻した新庄剛志が“罰”として鳴尾浜のグラウンドで正座したのは1995年7月の暑い盛り。
練習に1時間遅れ、同じ時間だけ炎天下の中で膝を折った。
「(新庄には)遅れた分だけ座りなさいと。30分遅れたら30分。
20分遅れたら20分、と選手間で決めてもらったものがあったから。
自分たちで(ルールを)決めなさいと言って、それで決まったものだったからね」
両者それぞれ言い分はあるだろう。それでも藤田からすれば、あくまで選手主体で設けさせた“ルール”にのっとった処遇だったという。
その後、新庄はアメリカン・ノックなどのメニューを消化している。
チーム全体にまん延する遅刻癖に頭を悩ませる日々。
「練習は遅れて来る。だけど、飛行機や電車には遅れない。乗り遅れるから。飛行機や電車にも遅れるなら分かるけど」。
新庄以外では、こんな話がある。藤田は2軍のチーム関係者に“遅刻常習者”だった某選手の夫人へ毎日電話させている。
「(ある日、某選手が)練習に来ないから奥さんに電話したら『えっ、今日は11時からじゃないんですか?』って。
そもそもの開始時間を間違っている。開始は10時。
それから毎日(チーム関係者に)『明日の練習開始時間は10時からです』と電話させた」。
野球以前の話だった。
新庄が正座した日は7月23日。
藤田にとって2軍監督として最後の日でもあった。
その夜、1軍は前半戦最終戦だった広島とのナイター(甲子園)で8連敗を喫す。
それから休養することになった中村勝広監督の後を受け「1軍監督代行就任会見」に臨んだのが翌24日。
藤田が1軍で指揮するにあたり、決意を示した会見前日の出来事だった。
能力は目を見張るものがあった。
初めてグラウンドで新庄のプレーを見た印象を藤田は「レベルが違った」と振り返る。
一方で現役復帰を目指そうとする今もそうだが、当時から話題に事欠かない選手でもあった。
その厳格さから『鬼平』と呼ばれた指導者と、天性が光る当時23歳の人気選手。
この年のオフには「センスがない」と新庄が引退宣言し、直後に撤回する騒ぎもあった。
スター性は誰もが認めるところ。同時に藤田は「甘やかされていたところがある」と危惧していた。
正座の件があってから6日後。1軍監督代行としての初戦で見せた選手起用に、甲子園が沸いた。
舞台は同年7月29日の横浜戦。後に2003、05年のリーグ優勝にも大きく貢献する若虎を4番に抜てきした。=敬称略=
◆藤田 平(ふじた・たいら)1947年10月19日生まれ、72歳。和歌山県出身。現役時代は右投げ左打ちの内野手。市立和歌山商(現市立和歌山)から65年度ドラフト2位で阪神入団。通算2064安打は阪神歴代2位。首位打者・最多安打各1回、ベストナイン7回、ゴールデングラブ賞3回。通算成績は2010試合207本塁打802打点、打率・286。
84年現役引退後、95年に阪神2軍監督から1軍監督代行。96年に監督就任したが、シーズン途中で退任。監督通算成績は170試合65勝105敗、勝率・382。現デイリースポーツ評論家。
(出典 i.imgur.com)
5/28(木) 9:00
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200528-00000029-dal-base
>>1
後の遅刻常習犯って亀山?
新庄は暗黒阪神以外だと2軍で終わっていた
この陰気くさいオッサンまだ生きてたんか
新庄は足を痛めててトレーナーからマッサージを受けてて遅れたとかなんとか
足を痛めてるのに正座なんかさせたから藤田が批判されたって聞いたけど
選手としてはいぶし銀、監督としてはただ暗いだけ。
新庄は後に引退騒動振り返って
『当時の監督嫌いだった』ってはっきり語ってたな・・・
罰則は選手間で決めたと言っても、桧山さんにでも訊かないと本当かどうか解らんな。
常習犯は中込だろうね。
阪神てほんと腐ってたんだなー
>>12
あの球団に行かないほうが良い
大山がかわいそう
大山は優等生だから
優等生に限ってファンに愛されない
鬼平のやろうとしてた事は後年の星野に繋がる事もいくつかあったんだが、
いかんせん本人の人望の無さと全方位敵だらけな四面楚歌状態
(一説には安藤派の報復とも)だったのがな・・・
阪神には大山、近本のような
地方大学、社会人からドラ1を獲るのがおすすめ
この人、鳥谷みたいな選手だったの?
>>16
鳥谷をさらに気難しい職人にした感じ。チャンスで初球をポップフライする悪癖があった。
>>18
でも、篠塚とリーディング争ったことあったよな?なんか以外だ
>>24
当時の格としては藤田の方が上
>>30
適当に振っててもヒットのイメージ
まあ、レフト前ヒットは篠塚がうまかったけどw
>>24
当時の130試合制の規定打席ぎりぎり403で首位打者とったんだよな
>>31
他ファンからすると、メチャクチャ打ってたイメージだけどな
ノムさんて新庄には融通きかせたんだよな
やっぱ各々にあった接し方しないとダメだな
藤田平監督が、「新庄は親の教育が悪い」とコメントしたら、
新庄の親が「藤田さんのところのお子さんはさぞかし立派に育ってるんでしょうね」と返す舌戦がスポーツ紙面上で行われていたと記憶している。
翌年には監督解任からの解任拒否みたいな騒動もあったな。
暗黒時代でもとりわけ最悪の時期だろう。
阪神はタニマチがなあ
そりゃ星野ぐらいじゃないと監督やりにくいわ
今でこそどの球団もやっているけど、
選手達の食事にも踏み込んで管理したり、
「選手のミスは監督である自分の責任、選手達を叩かないで欲しい」
となかなか言える事では無い事言ってたり、
もしかしたら阪神を変える事が出来たかも知れなかった。
しかしマスコミに嫌われて
監督留任問題で、
「世紀の勘違い男、藤田」と
書かれたんだよな。
何でだろ?
>>34
肝心のマスコミを懐柔しなかった
鬼平の数少ない功績
・桧山を我慢強く起用し育てた
・選手寮の飯を改善させた。それまでは病院の給食レベル並みに不味く、量も少なかったため
選手が個人でカップ麺をコンビニで買って食べてたという。
鬼平が震災で一時期に選手寮に避難して生活してたため飯の酷さをそこで知り、
「こんな飯で選手が育つか!戦えるか!」とキレて上層部に掛け合った
>>35
外のメシ食ったことない
海外チームの経験もない
阪神しか知らない生え抜きなのに
あそこまで危機感持って
チームの土台を掘り起こす意思があったことは
称賛に値する
が、阪神の外を知らない高卒内野手上がりでは
幾ら名球会プレイヤーでも限界があった
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